1996年春卯月金曜日の宵、伝説のジャズ喫茶「ちぐさ」前の駐車場仮設舞台で第二回野毛大道芝居「花の野毛山次郎長水滸伝」は開幕した。
座長である俳優・高橋長英が次郎長を演じ、森の石松が評論家・平岡正明、三十石船に何故か乗り合わせるマリリン・モンローが作家・荻野アンナ、大政にシャンソン歌手の故・元次郎、灰神楽の三太郎に横浜ジャズプロムナードの芸術監督・柴田浩一、投節お仲にエッセイスト・朴慶南、前口上が永六輔…と豪華野毛オールスターキャスト! 作家・山崎洋子が美声を聞かせつつデビューしたのもこの公演であった。 生憎の春雨、しかしずぶ濡れになりながらも決して帰宅せぬ満場の客に胸を熱くしながら出演者全員が極限の名演技、平岡先生なんて熱演の余り雨に濡れる舞台での立ち回りで滑って舞台下に落ちて頭を強打、森の石松気絶しちゃって都鳥一家にまだ斬られていないのに出てこないから、弁士のアタシが10分間もアドリブで繋いだんだから…もう大変だったのよ。けど実にイイ石松だったね。
大音声の浪曲、やんやの喝采、ちぐさ前は大群衆で騒然、神奈川県警が急遽総出で交通整理する始末、動員し過ぎてこの日は犯罪検挙率が下がったという。実はここでもう一つ、興味深い事件が起こった。石松“寿司食いねえ”の三十石船の場、書割の船前、赤褌のみのほぼ全裸で頭にシュノーケルを被り「憧れのハワイ航路」に合わせアップアップ踊っていたのが大道芝居の製作者・餃子屋萬里の福田豊であったが、この騒然たる会場に隣接して「福音喫茶メリー伝道」という店はあった。
選りに選って芝居の真っ最中、その窓から突如女性が顔を出し大声で何やら抗議し始めたのだ。出演者も観客も皆芝居に没頭、女性の声は歓声にかき消されたが、気づいた福田豊は製作者の責任もあり窓の下へ走って行ったね。女性の言い分は、ワタシの店はクリスチャンの店、本日金曜日は伝道集会の日なのに煩くて賛美歌も歌えないし、歌っても自分の声さえ聞こえない。直ちにやめなさい、と。
ちぐさには了解を得ていたが、メリーには事前に話が通っていなかった。ここからが元電通マン現餃子屋の福田豊の手腕といきたいが、何故か“もう直ぐ終わりますからご勘弁を”とペコペコ頭を下げれば下げる程相手は激昂する。それもその筈、福田豊は芝居の出演者でもあった。夜の公道で全裸に赤褌、むき出しのお尻にシュノーケルを被った儘でいくら頭を下げようが、その反宗教的且つハレンチで人を小馬鹿にした格好、相手はおちょくられているような思い拭えず益々声を荒らげる。しばらく続いたその修羅場は野毛の善男善女に目撃され後年酒の肴となった。13年前の話である。
…てなことがあって敷居が高かった。そりゃ福音喫茶だもの、興味はあるけど真面目な店に違いない。けどね今回は行き付けの店じゃないが気になって是非紹介したかった。アタシはクリスチャンじゃないけど。で、電話した。「野毛の“変わった”店を紹介したいんですが」。うっかり口を滑らすも「うちは“変わった”店だから是非どうぞ」と二つ返事。先入観は嬉しくもモノの見事に打ち砕かれる。普段は普通の喫茶店、金曜夜に集会があり皆で賛美歌歌うというから行ってみた。
温かい店内、スピーカーからギター曲が優しく流れ、質素な服装のお客が6〜7人、30〜40代が多く、中には可也高齢の女性もテーブルを囲んで、持ち寄った食事を言葉少なに楽しんでいる。正面壁には本日の日付“2009年3月9日、伝道集会第2374回”、主人がお茶の支度をしている厨房入口上部には毛筆の大文字で“熱心でうむことなく霊に燃え主に仕えよ。ロマ書”と。
食事後はこれまた無口に眼を瞑ったまま集会が始まるのを待つ。声高に話す必要はない。誰もが心に傷を負い癒されるためここへ来る。無料で振舞われる台湾製烏龍茶が実に深みがあり美味しいね。お茶を注ぐ音“とくとく”…そのうちBGMも消え、一見売れないフォーク歌手風の主人が挨拶してギターを弾き賛美歌を皆と歌い始めた。
おや、なかなかイイね。主人の声も美しく素直な発声で嫌味な外連が全くないし、歌集の賛美歌には新作も多く、昔のように単純なスリーコードじゃないんだね。Don Wyrtzen<何て読むんだ?>作曲「あなたに」など実に魅力的な旋律と和声の色彩感、中には、♪ここにいずみはわく〜涙をすぎるとき〜♪ 「花も」のように琉球民謡風賛美歌なんてのもあり、音楽好きにも充分楽しめる。「神愛世人」は中国語の賛美歌か、♪神愛世人 甚至将他的 獨生愛子 賜給他門 叫一切信他的 不至滅亡 友得永生♪…。発音は難しいけど字面追うと何となく意味がわかるから中国語は面白い。思わず音読みで歌っちゃうね。
眼鏡の似合う主人は朱大衛さん、明るくユーモラスな53歳、ハマで生まれた生粋のハマっ子だ。歌い進むに連れてお客の顔に赤みがさす。大衛さんの冗談に笑顔も見え始める。癒されているんだね。
大衛さんの御父上、故・朱家語さんは中国大連の出身、台湾で奥様と結婚し夫婦揃って来日しこの野毛で開店した。1950年代後半、開店当初はタンゴのレコードを専門に聞かせる純喫茶だった。店は当時のタンゴブームに乗り大繁盛、アベック、カップルが連日多数押しかけ、アルゼンチンタンゴやコンチネンタルタンゴに耳を傾ける。商売としては大成功。しかし当時の主人朱家語さんは思った。本当にこれでいいのか、と。
家語さんは熱心なクリスチャン、店が流行れば流行るほど心にぽっかり穴が開く。一度限りの人生信じた道を進みたい。で大流行りの店を惜しげもなく畳み、伝道を目的とした福音喫茶として再開店、勿論客は離れ、その純心は愚行と看做され昨日まで仲間だったハマ中の華僑から「お前は馬鹿か」と嘲られた。
いくらなんでも大繁盛のタンゴ喫茶をいきなり福音喫茶に変えるという発想は凄い。タンゴ専門店から賛美歌専門店へ。信じた道は真実一路。これは信仰のなせる業か、それとも朱さん自身が生まれつき無謀で“野毛的”であったのか、勿論前者だろうけどね。
1963年、東京オリンピック前年のことである。
誰も来ない日が続いた。しかし朱家語さんは負けなかった。如何に客足が遠のき同胞から悪口を言われようとも店を開け続けた。野毛の店だ。勿論飛び込み来たる酔っ払いも拒まない。悩みを抱えた多くの人が扉を開ける。仕事にあぶれた人、離婚した人、家族離散し絶望の縁にいる人、指名手配の殺人犯、麻薬中毒の人、自殺志願者…救われない多くの人の相談に乗った。少しずつお客も増えたが経営状態は苦しいまま。
これじゃ自分が救われない。無謀だったのか。何度も挫け店を閉めようと思った。だが話はせずとも美味しいコーヒーに救われ帰って行った者も少なくない筈。お客の見せる微かな笑顔にどれ程自分が癒されたことか。朱家語さんは闘った。家族と共に実にシブトく闘った。
その朱家語さんは1990年に亡くなり、今度は家語さんの奥様と当時34歳の息子大衛さんが故人の遺志を継いだ。この奥様、大衛さんの御母上こそが赤褌男・福田豊氏とやりあった朱邱瑞雲さん。優しい笑顔、心の広い太っ腹の女性で町内の人望もあつく、その後中国天津生まれの福田氏とも大いに親交を深めるが、2008年81歳で天に召された。それを大衛さんから知らされた時の福田氏の寂しげな顔…。
今は亡き根性あるご両親、その血を受け継いだ一人息子の守る店は今も野毛にある。野毛から動かず、野毛と共に歩み、仲間の中国人にさえ“馬鹿か”と罵られた店も今年で開店46周年。朱大衛さんの声が優しく響く。「主よ、この素晴らしい福音が野毛の隅々にまで広がって行くのをどうかお見守りください」。
“日本”でも“横浜”でもない、“野毛”の隅々にまで、と確かに彼は言った。慎ましやかでも切なる主人の思いはこの一言で充分。野毛だからこそこの“変わった”“馬鹿な”店を抱きとめて来たのではないかとも思う。店は野毛と共に、野毛は人と共にある。アーメンとハレルヤの唱和。クリスチャンではないが何故か温かい気持ちになるね。
向かいのジャズ喫茶「ちぐさ」も今はなく、跡地には殺風景なマンションが建つ。変わり行く野毛の町を漂う賛美歌は正に祈りのように。入信する必要は無い。300円のコーヒーが実に美味いイイ店だ。一度飲みにおいで。まさしく野毛の店だから。